色々な鉄道の噂を研究する「電車の雑学研究所」シリーズ。ここでは鉄道にまつわる様々な雑学・噂・都市伝説を検証して、皆さんに楽しんで頂くカテゴリーです。
今回は『沖縄に地下鉄が掘れないのは「財宝が埋められているから?」説』をご紹介します。
財宝だと…?
沖縄といえば、長らく日本で唯一鉄道がない「鉄道不毛の地」として知られていました。
しかしながら、2003年にはモノレールである「ゆいレール」が開業。これをもって47都道府県に鉄道が出揃っています。
この都市鉄道、元々は地下鉄の予定だったのにある理由でモノレールになったという都市伝説があります。
その理由が「琉球王朝の財宝が那覇市内に埋められていて、王家の末裔がそれを止めているから」というものだそうです。
おらワクワクしてきたぞ…!
いつからある?
そもそも、こういった話には何かしらのきっかけがあるはず。いつから話されていたのでしょうか。
ネットで確認できる範囲では、2010年にこんな記事が書かれています。
沖縄モノレールが検討された時、景観が悪くなるから地上ではなく地下を走らせろ、と県民から非難の声があがったそうです。それに対し県は、沖縄の地下には無数の不発弾があり、それを見つけて取り除くだけで何百年という歳月と莫大な費用がかかるという事を理由に高架式のモノレール計画を進めました。しかし、噂では、地下鉄を通す事ができない本当の理由が別にあったと言うのです。それは、琉球王朝の末裔が財宝の在処を示した地図を見つけたため、県にストップをかけた。そして自分で掘削する事はできない為、財宝の利益を分け前として払うという密約を結び、極秘の財宝探しを県に依頼したという事なのです。その財宝の在処は、なんと那覇市内にあるという話で地下をあちこちで掘り返しました。しかしその最中に内部から極秘情報が漏れたらしく、個人や企業が事業と称して財宝探しへと乗り出したのです。モノレール開通以降、沖縄に地下駐車場が一気に増えました。大抵、地下駐車場というとビルや建物の下にあるものと思いますが、沖縄の地下駐車場は空き地や交差点の下に多く造られたのです。これは、財宝が見付からなかった痕跡を隠す為だと言われています
出典:https://www.akari-office.com/information/872/
さらに探ってみると、「やりすぎコージー」というテレビ番組内の「やりすぎ都市伝説」でこの話が取り上げられていたようです。
『やりすぎコージー ウソかホントかわからない やりすぎ都市伝説 第5章』
・OKサインの謎
・3が持つ不思議な力
・BABY IN CARに込められた思い
・地名に秘められた驚愕の歴史
・沖縄が地下鉄を作らない理由
・東京湾に潜む化け物
・命を延ばすサイン色紙 etc…
放映年は2008年なので、都市伝説としてはここがスタート地点でしょうか。
沖縄の王家といえば尚(しょう)氏ですが、徳川埋蔵金の話もあるようにもしかしたら本当にあるのかもしれませんね…!
地元図書館に聞いてみた
ということで、この真相を探るべく沖縄の図書館に聞いてみたところ、次のような回答がありました。
・市街地の道路内での工事が中心となり、現況の道路交通の影響を抑える必要がある
・構造物の圧迫が感じにくく、日照や電波で有利
・河川の専有幅を小さく出来る
・輸送力の面で、ガイドウェイバスより有利参考: 沖縄県土木建築部「沖縄都市モノレール建設記録誌」2004.8
いずれも、まぁそれなりに納得がいく理由ですね。
また、前節の「地下には不発弾が埋まっていて作れない」という話も、
・2019年に「てだこ浦西駅」まで延伸開業した際に新しく地下区間(浦添前田~てだこ浦西間、実態としては丘)を作っていること
・現行の高架線路でも建設前に不発弾の探索が行われ、7発の不発弾が処理されていること
というケースがあるので、決して不発弾があるから地下路線が作れない訳ではなさそうです。
またモノレールという方式を選んだ以上は、基本的に高架での運行でないとモノレールの特性を発揮できず、地下で建設するには相応の理由が必要です。
地下を通すには費用が莫大になる為、「景観が悪いから」という理由だけでは到底通るものではありません。
ということで、残念ながら尚家の財宝が理由で地下鉄でなくモノレールになった…という訳ではなさそうですね…。
「財宝自体がない」という証明にはならないので、もしかしたら違うどこかに眠っているのかもしれませんね。ロマンあるなぁ…
沖縄モノレールの歴史
沖縄モノレールの話が出てくるのは、まだアメリカ統治下であった昭和37年(1962年)のこと。
当時の日立製作所調査団を招いて、モノレールの導入調査をしたのがはじまりです。次いで昭和46年(1971年)には日本モノレール協会が調査団として沖縄へやってきました。
これら2つの調査団による来沖の結果、日本復帰を果たした昭和47年(1972年)に当時の那覇市長がモノレールの整備方針を発表。
日本国政府も沖縄に「新しい交通システムの導入を検討する」とし、沖縄県や那覇市も交えて具体的な検討を行った結果、モノレール構想が動き出しました。
この時の那覇市の見解では
・都市交通機関としての適用性
・実績及び法制度
・那覇市の地理的、社会的条件(都市化が進んでいて面積も狭い)
・平面交差がなくて済む
・用地費用が少額で済む
・工期が短い
参考:日本モノレール協会「モノレール(29)」、1976年7月
という理由から、普通鉄道ではなくモノレールを選択したとしています。
関連リンク
参考文献
浦添市議事録
国土交通省「平成19年度 沖縄都市モノレール延長検討調査(その1)」