雲雀丘花屋敷駅(ひばりがおか-はなやしき)。たまに梅田で行先を見る方も多いと思います。
小林一三が開発した高級住宅地に隣接するこの駅は、昭和34年まで「雲雀丘駅(現在の雲雀丘花屋敷駅)」と「花屋敷駅(200m東の満願寺踏切周辺)」と2つの駅に分かれていました。
花屋敷駅は宝塚線開業と同時に設置されたのに対し、雲雀丘駅は後から設置された駅です。
昭和34年に合併することになる、が…
当時4両編成だった宝塚線の車両を、6両編成に延長する際に、わずか400m程度しか離れていない両駅の間にまたがってしまうことから、どちらかの駅を廃止することになりました。
阪急としては線形の都合上から雲雀丘駅を残し、花屋敷駅を廃止しようと考えていたようですが、花屋敷区域に住む住人が新駅の不便さや地価下落を理由に猛反発。当時の国務大臣まで巻き込んで存続運動が行なわれました。
その後無事「雲雀丘花屋敷駅」が開業するも、運動の影響なのか、開業後も1年間にわたって運動の花屋敷駅も存続する、というなんとも変わった状態が続いたのだそうです。
最終的に決まった方法は
そして、国務大臣まで巻き込んだこの論争の決着の着き方は、なんとジャンケンで決まったのだそう。
このことは、雲雀丘花屋敷の歴史を記した書籍「宝塚雲雀丘・花屋敷物語」という本にも記載されています。
花屋敷自治会長と雲雀丘自治会長とがジャンケンをし、花屋敷側が負けて駅名が雲雀丘花屋敷駅となり、現在の位置となった
『宝塚雲雀丘・花屋敷物語』 宝塚雲雀丘・花屋敷物語編集委員会 ,2000年
ジャンケンで決まった雲雀丘花屋敷駅……ジャンケンで決まったのなら恨みっこなしですね(?)
ちなみに
開業当初の雲雀丘駅・花屋敷駅は、ホームでお客さんが手を挙げないと停車しなかったのだそうです。凄い時代ですね…笑
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