京都府にある「笠置観光ホテル」という場所をご存知でしょうか。
桜の名所として知られるJR関西本線の笠置駅に近いところにあり、廃墟・心霊スポットとしても有名です。
Wikipediaでも笠置観光ホテルについての詳細はなく、サイトによっては「ホテルへの線路がなくなった」やら、鉄道好きからすると一笑に付すような書き方をしているところも。
「屋上のボイラー室に女性の霊が出る」だとか言われてますが、検証しようのないオカルト的なことはさておき、鉄道を中心に現時点でわかっていることをまとめました。
笠置観光ホテルの基本
・運営は「株式会社笠置観光ホテル」
・住所:京都府相楽郡笠置町大字笠置小字峠50番地の1
・代表取締役社長は 本吉昇 氏→2代目に河村健治 氏
・1962年に開業、1990年頃に閉鎖?
・地上5階建て、地下1階建ての鉄筋コンクリート構造
・地下1200mより湧き出る温泉が売りで、1泊6500円だった
・改築工事が行われていたが、何らかの理由で放棄されている
・建物は2007年に「株式会社笠置観光ホテル」から所有権が移転
有限会社日興システム・サービス→有限会社エステート・ワン(大阪府)→個人が所有
・2000年12月25日7時半頃、一階のロビー付近から出火。2時間後に鎮火したものの、正面玄関からエレベーターホールまで340㎡を焼失
・所有者は破産して手放している
・2006年頃に町内の人に買い取りを打診したものの、建物が破損していることから断られる
運営法人について
株式会社笠置観光ホテル
設立:昭和35年4月5日
資本金:8750万円
2007年に建物の所有権を手放す
2008年(平成20年)1月8日に法人解散
解散時の代表取締役は、先の方のご子息のようでした。
廃業理由とオーナーの死因
これについては有力な手がかりが見つからず、はっきりとわかっていません。
法人としての解散は2008年ですが、これより前に閉鎖されて廃墟化しており、何か別の理由があったのかもしれません。
線路の配線がなくなった?
さて、ここからが鉄道サイトとしての本題。
冒頭でも書いたように、サイトによっては「線路がなくなった」という鉄道ファンの方なら一笑に付すような言説を書いているページもありますが、そもそも笠置観光ホテルへ直通する線路があった歴史は一切ありません。
後の資料から、「(大阪から笠置駅へ直通する)列車がなくなった」が正しい言説だと言えるでしょう。
笠置直通列車があった
笠置観光ホテルは関西本線の笠置駅が最寄りですが、50年近く前までは気動車による直通運転が湊町(現在のJR難波)~笠置間で実施されていたようです。
こちらのページに掲載されている1964年時点の時刻表では、確かに湊町(JR難波)からの直通列車が設定されていて、
322D 快速 亀山行き 湊町907→天王寺914-18→奈良953-55→笠置1027
324D 快速 亀山行き 湊町1043→天王寺1048-50→奈良1124-32→笠置1159
342D 快速 笠置行き 湊町2138→天王寺2144-50→奈良2224-31→笠置2257止
などなど、おおよそ毎時1本の頻度で朝晩問わず発車していたようです。
これは国鉄時代の列車の運行形態が「一つの列車で大きく範囲をカバーする」「貨物列車が優先」という原則があったからで、大阪に近い奈良においても例外ではありませんでした。
いわゆる広域輸送や貨物輸送が主軸で、都市近郊の輸送についてはあまり重要視されていなかったのです。
1973年に電化
しばらくはこういった輸送形態でしたが、1973年10月に湊町~奈良間が電化したことで話が変わり始めます。
電車が走れるようになったこともあり、大阪~奈良間でも高頻度に電車が行き交うような輸送形態を開始。おおよそ20分ごとに、現在の大和路快速のような立ち位置の列車が運行されはじめました。
但しこれと引換に湊町(JR難波)~笠置間の直通列車はなくなり、大阪から出る列車は全てが奈良止まりになりました。
合計乗車人員 | 定期外 | 定期 | |
---|---|---|---|
1964年(昭和39年) | 531 | 135 | 396 |
1966年(昭和41年) | 555 | 125 | 430 |
1973年(昭和48年) | 402 | 131 | 271 |
1983年(昭和58年) | 260 | 86 | 174 |
1998年(平成10年) | 276 | 178 | 98 |
笠置駅の乗車人員比較。
当時の笠置は温泉の街として売り出しており、ホテル利用客なども含めた観光客はこの表でいう「定期外」に該当しますが、確かに電化した10年でガクッと落ち込んでいます。
1980年
1980年時点での関西本線の時刻表では直通列車こそなくなったものの、笠置がディーゼル列車の拠点となっていたようです。
当時の列車
234D 普通 奈良1022→笠置1045
237D 普通 笠置1109→奈良1132
252D 普通 奈良1811→笠置1855
253D 普通 笠置1900→奈良1924
※時刻表は1980年10月改正版
基本的には奈良~亀山での輸送だったようですが、合間の間合い運用として笠置での折り返し便も比較的多く設定されていました。
現在拠点となっている加茂駅はまだ電化されていなかった(電化は1988年)こともあり、拠点駅は笠置駅にありました。
笠置観光ホテルの場所
笠置観光ホテルは、国道163号線笠置トンネルの側道にある旧道らしき経路からアクセスします。
ここは元々国道163号線で、交通量もそこそこあったものと思われます。
車が入れないようガードレールで塞がれていますが、人やバイクなどは通れる隙間が残っているので完全に進入禁止というわけでもないようです。
しかし、1985年3月に山の中をくり抜く「笠置トンネル」が出来てからは状況が一変。
車は大多数がこちらを通ることになり、旧道と化した笠置観光ホテルへ連なる道は廃れていきました。
道を進んでいくと、落書きされまくった看板に出会います。
「この先落石多発地域」と書かれているようです。こわ…
それにしても朝9時でこの暗さですよ。廃墟への道としては非常に雰囲気のある道路ですね
しばらくすると…笠置観光ホテルが見えてきました。
おお……!こちらが関西の廃墟として著名な笠置観光ホテルです。
鉄筋コンクリート造の建物ですが、徐々に自然に還っていっていますね。
周辺にホテルへ登れそうな道は全く見当たりません。当時はどこから上がってたのでしょうねぇ…
帰り際、先程の笠置トンネルの横にはモダンな通路が整備されていました。
かつては木津川への川遊びへの経路として栄えたのでしょうか。エモいですね
関連リンク
参考文献
・京都府統計書 各年度
・朝日新聞朝刊 「廃ホテル人気、町渋い顔 若者ら肝試しの場所に、イメージ悪化を心配 笠置/京都府」2008年10月3日
・読売新聞「笠置で休館のホテルが火災 不審火か=京都」2000年12月26日
・官報
・不動産登記簿、および法人登記簿各種