関西急電(かんさいきゅうでん)とは、1934年~1957年まで関西地区を特別料金不要で走っていた急行電車を指します。
わかりやすく言うと現在でいう「新快速」のことで、かつ新快速のご先祖様的な電車でもあります。
戦前の新快速
1934年の電化時、関西を走る料金不要急行電車として登場したのが「関西急電」です。
4両編成の電車(42系)が京都~大阪~神戸間を走り、そのスピードは伝説の特急「燕」よりも7~9分速く設定されていたのだそうです。
京都~大阪間が34分、大阪~三ノ宮間を25分で走り、停車駅も京都・大阪・三ノ宮・元町・神戸の5駅に絞られていました。
その後、流線型の形状を持つ52系が1936年に誕生。
メインカラーにベージュ、差し色にぶどう色2号を使ったスマートな塗装や、現在から見ても格好いい先頭形状は、「関西急電」のイメージリーダーとなりました。
この所謂「関西急電色」は、現在にも受け継がれています(後述)
関西急電は、戦時中の中断を挟んで1957年に至るまで走り続けました。
が、新たな種別である「準急」が登場するのにあたり、準急が別料金を取るのに上位種別であるはずの「急行」が別料金を取らないのは矛盾が生じることから、名称を「快速」へと変更。
関西急電の名前は、ここで終わりを迎えました。
”関西急電色”として
現在でも電車のカラーに「関西急電色」というワードが残るなど、鉄道界隈では伝統的な名前となっています。
この色は、関西急電で使われていた52系車両のカラーリングが由来で、ベージュとぶどう色2号の2色を指します。
関西急電の末裔であり、新快速を担当していた221系(3代目新快速)や…
223系(4代目新快速)、
そして225系(5代目新快速)にも、それぞれ「関西急電色」のラインカラーが入っています。
特に、ボディカラーがまるまる関西急電色となった117系は、「関西急電の生まれ変わり」というべき出で立ち・内装でて登場しました。
当時は国鉄なので、地域差を考慮せずにどこでも同じような車両を使うのが普通でしたが、この117系だけは別格。
京阪・阪急が転換クロスシートを用いた車両で一歩リードする中、その対抗として転換クロスシートや枕カバー、蛍光灯カバーなどをつけた特急列車さながらの特別設計でした。
現在は湖西線や広島地区で活躍する他、まさかの寝台列車化(WEST EXPRESS銀河)するなど、どこかJRは117系を特別視しているようにも見えます(多分気のせい)
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