今から64年前の1956年(昭和31年)2月2日の7時40分。
この日は阪急宝塚線庄内駅にて「庄内事件」と呼ばれる事件が発生した日です。
服部~庄内駅内にて梅田行き準急電車が故障・立ち往生し、「庄内駅にて回送列車を用意するから庄内まで歩いて欲しい」という案内を行ったにも関わらず、庄内駅にその電車が到着せずに暴動となった事件です。
「電車は通さない」
事の顛末は次の通り。
① 服部~庄内駅内にて箕面始発梅田行き準急電車が故障・立ち往生。
② 阪急社員が「庄内に回送列車を用意するから庄内駅まで歩いて欲しい」と案内、乗客は納得して1.5kmの距離を歩く。この時点で1,000名ほどが庄内駅で待機。
③ ところが、連絡が不徹底で庄内駅へ回送列車が来ない。
④ 更に、運転再開後にやってくる列車は全て満員で、先に歩いた乗客が乗れない事態に。
⑤ この事に乗客が激怒して暴徒化。「我々を先に乗せないと絶対に通さない」と後続列車を塞ぐ事態に。
⑥ 警察が派遣されるも収拾できず、阪急の役員であった小林米三氏(小林一三氏の三男、松岡修造氏の大叔父)が現場に急行して暴徒を説得。
⑦ 神戸線から当初の説明であった回送列車(800系4連)が入線したことからようやく沈静化
また、日頃から新車投入がないがしろにされていた宝塚線ユーザーの不満が爆発したことが背景にある(別の抗議活動でこれを言う乗客が梅田駅に200名いた)とされています。
この教訓からか、現在阪急神戸線・宝塚線は9000系や8000系など基本的に新車投入を均一的に行っています。
ただ、この後国鉄で「上尾事件」などが起こった際に、駅員は逃げ出すなど職務を放棄した事とは対照的に、今回の阪急の庄内事件では逃げ出さずに役員も自らが説得にあたったことから、後世での評価が変わっています。
https://twitter.com/OsakaSubwaycom/status/1019911882541477888
この思想の根底には「庄内事件」という、宝塚線と神戸線の使用車両に差をつけたことから起こった暴動の教訓であったようです
— Osaka-Subway.com/鉄道プレス (@OsakaSubwaycom) November 8, 2018
もう50年前の話なんですが、これが相当効いたんですね(苦笑
たまには怒らないといけないなぁ
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