「城東貨物線」として運営されていたのを旅客化したおおさか東線。2008年に放出~久宝寺が、2019年に新大阪~放出が開業しました。
これで全線開業…と銘打っているのですが、実はその昔、もう1区間の建設構想がありました。
それが阪和貨物線です。
阪和貨物線とは?
阪和貨物線は久宝寺から杉本町間までを結ぶ11.3kmの貨物線で、旅客化の際には途中3つの駅を設ける計画でした。
この区間もあわせて開業していれば、大阪市の外側をぐるっと回る新しい環状路線が出来上がっており、本当の意味でおおさか東線の全線開業になっているはずでした。
外環状線と申しますのは、国鉄吹田操車場を起点に、新大阪、放出を経由し、八尾市の竜華操車場に至る城東貨物線と、竜華操車場を起点に国鉄阪和線の杉本町に通ずる阪和貨物線を複線電化し、客車を運行させる計画であります。
出典:大阪市会「昭和44年第1回定例会(昭和44年3月)」-03月06日-02号
しかし1989年に計画から外され2004年に休止、2009年に全線廃止となってしまいました。
鉄道による貨物輸送の縮小に伴い2004年7月で営業を休止し、09年3月に廃止となった。大阪市では地域のまちづくりに貢献できるよう、このうち約7キロの区間をJR西日本から無償譲渡を受けることとし、11年に基本協定を締結。ただ、土地の形状が細長く、一部区間は周辺の土地との高低差が大きいことから、廃線後10年以上たった今も具体的な活用方法は定まっていない。
出典:https://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/shakaikengaku/210617/20210617036.html
現在は線路も撤去されて何もなくなっていますが、一部ではまだ鉄道があったことを思わせる遺構も残っています。
今日は、そんな「幻のおおさか東線」の跡地を、ぐるりと巡ってきましたのでご紹介します。
久宝寺~出戸間
場所はこのあたりからスタート。
阪和貨物線は、かつて久宝寺駅付近に存在した竜華操車場が起点となっています。
実質的には加美~久宝寺間からの分岐で、単線で分岐していました。
探検は分岐部から貨物線に入ってくる部分から撮影スタート。奥に見える高架はおおさか東線です。
最初の踏切となる南加美踏切ですが、まだ踏切の遺構が残っていました!
遮断器こそ外されているものの、警報灯や「とまれ」の看板は残っています。
そのまま進んでいくと、ここにも鉄路の匂いを感じる五灯信号機!これはテンション上がりますね!!
本線合流部分なので「警戒・注意・減速・進行」が全て表示できるようになっていたんですねぇ。
盛土区間と高架区間が入れ替わりながら、加美の街を渡っていきます。1941年頃に作られたシンプルな高架です。
道路との交差部はガーター橋になっていました。
月日が経って段々と草に侵食されていくその姿、エモさが深い……!!
ガーター部分をアップしてみたのですが、塗装が剥離されて文字が読めなくなっていました。読めるところだけ書いてみましょう
橋りょう名 ****
**** 竜操起点 2K358
**** 9M 73
塗装年* 1?98年11月
塗装階数 ****
塗装種類 ****
*塗料 ******色1号2号
製造会社 ****
施工者 富士塗装興業 KK
…と、このように殆ど読めませんでした…。
国道25号線との交点
国道25号線との交点にやってきました。ここもバッチリと残ってますね~
場所はこのあたり。ちょうど大和路線と平行に通っているのが国道25号線です。
それにしてもこの高架、単線とはいえ細い脚ですね…。
かつてここにもガーター橋がかかっていました。こちらに当時の写真が掲載されています。
しかし二桁国道だけあって、交通量がめちゃくちゃ多い。仮にも大阪⇔奈良を結ぶ道路なのに1車線で足りるんでしょうか…。
かつてここにかかっていたガーター橋は、「奈良街道架道橋」という名前なのだそうです。
ぷつっと切られた線路の端部分。これでもうここに電車が走ることはありません…。
出戸に向かって進むと、段々盛土が低くなってきました。この部分では既に高さ2.2m制限を受けています。
ボックスカルバートで作られたであろうこの部分は、硬すぎて撤去が厄介なのかそのままの姿で残されていました。
更に進んで身長に届くかというぐらいの高さになると、横断部分が解体されていました。
ここから地平になります。複線用地が確保されていたようです。
出戸到着寸前、長居公園通とクロスします。
長居公園通はこの阪和貨物線横断の為にオーバーパス(立体交差)で作られたのですが、阪和貨物線が廃止となった今はただ上に登るだけの道路となってしまいました。
出戸駅
久宝寺を発車して南へぐるっと迂回し、最初に到着するのは出戸駅。
谷町線の出戸駅が近くに立地しており、ここで乗り換えられる計画がありました。
資料を見ると、駅は谷町線出戸駅の南側に作られていたようです。
直前に先程の長居公園通オーバーパスがあるので相対式ホームになるかな…?と思ってイメージを作ってみました。
ちなみに谷町線の出戸駅は、上に上がる長居公園通の橋脚を避けるために線路がやや南側にずれています。
しかし先述のようにこの投資は無駄に終わり、現在でも立体交差道路は本来の役目を果たすことなくただ上にあがるだけの道路となっています。
出戸駅の近隣には、大阪シティバスの出戸バスターミナルも存在しています。
もし阪和貨物線の出戸駅が竣工していれば大阪メトロ・大阪シティバス・JRの3つの結節点となる南の大きなターミナルになっていたかもしれません。
城東貨物線(厳密には阪和貨物線)の旅客化を見据えて、わざわざホームの位置をずらした駅がありましてね…? pic.twitter.com/UbxyISHG96
— Osaka-Subway.com/鉄道プレス (@OsakaSubwaycom) March 7, 2019
出戸~瓜破間
出戸を抜けて南に進んでいきます。この区間は線路跡が綺麗に空き地となって残っています。
瓜破(うりわり)霊園が近付いた頃、線路は西へと進路を変えていきます。
場所はこのあたり。瓜破霊園が近くにあります。
…と、ちょうど小さい大阪シティバスが通っていきました。
16号系統という出戸バスターミナルから住宅地へのコミュニティバス的ルートです。
…お?何か書いてあります。読んでみましょう
告
この用地は、西日本旅客鉄道株式
会社の所有地です。当社関係者以
外の立入(通行)及び不法投棄を
禁止します。阪和線保線区長
阪和貨物線は阪和線部分の保線係が担当していたようですね。
線路は進み、大和川にだいぶ近付いてきました。
先程の加美と違って線路こそないものの、いかにも鉄路といった窪地がとても良いですね…!!
遠くから今にも何か走ってきそうです。
2010年にもちょうどここを撮影していたようです。当時はまだ線路や速度制限看板も存在しており、草も生えまくっていました。
瓜破駅
瓜破(うりわり)駅に到着。資料によると、国道309号線を越えたあたりに位置する計画だったようです。
瓜破という変わった地名といえば、谷町線に「喜連瓜破駅」がありますが、先程の出戸駅とは違ってこちらは谷町線からやや離れた場所にあります。
場所はこのあたり。喜連瓜破駅からは1km程度離れています。
現在のおおさか東線を見るに、瓜破駅は島式ホームでしょうか。
この区画は自動車立入禁止で徒歩だけしか近づけないので、この位置から仮想ホームをおいてみました。
駅構想地の近くには「瓜破駒ヶ池公園」という大きめの公園がありました。もしかすると瓜破駅の改札部分として確保しておいた土地かもしれませんね。
瓜破~新矢田間
加美~出戸~瓜破と異なり、この区間は大和川の堤防増強工事が行われてすでに埋め立てられていまいました。
跡地には何もなく、ただただ堤防です。
土手のしたをのんびり走る、古き良き時代・・
今はもう、草ぼうぼうだなあ・・ pic.twitter.com/os8AqMgn3d— ララいずみ (@64ewqF4ZRKw6k7a) June 1, 2021
当時の写真をアップされていた方がいらっしゃったので、同じ位置ぐらいの場所を比較してみました。
当時は103系や117系などの錆取り電車が1日1・2回走っていたようです。
新矢田駅
完全に何もなかった瓜破~新矢田間をスルーして、新矢田駅に到着。
資料によれば近鉄南大阪線をくぐってすぐに駅が設けられる予定だったそうです。
場所はこの辺。
近鉄には既存の矢田駅が1km北にありますが、電車では近すぎるので近鉄が乗り換えの新駅をわざわざ作ったかどうかは微妙なところ…。
ここも島式ホームでしょうか。(またしても)イメージ図を勝手に立ててみました
ここも線路や鉄道施設はありませんが、比較的綺麗な状態で保全されていました。
一方、府道26号線を超えると黒いシートで覆われていました。どうして…。
新矢田~杉本町間
新矢田を出て、阪和線との合流地点である杉本町を目指します。
新矢田駅西側には、以前取り上げた「ラスパOSAKA」が(未だに)鎮座していました。ようやく再開発の予定が決まったそうです。
ずっと一緒だった大和川にようやく別れを告げ、御堂筋線が走るあびこ筋の交点で進路をやや北西にとります。
現在も線路跡が残っています。
そして、ここだけに残るレアな看板が存在していました。それが…
こちら!!「ふれ愛紀州路」と書かれた国鉄型特急の看板です!
9月5日から特急電車が通ることを告知するもので、民営化後すぐの1987年9月~1988年3月まで行われた「ふれあい紀州路キャンペーン」の臨時列車だったようです。
特急「ふれ愛紀州路」停車駅
京都・宇治・奈良・王寺・八尾・(阪和貨物線)・和歌山・御坊・紀伊田辺・白浜
場所はここ。ちょうど御堂筋線とのクロスポイントとなります。
浅香周辺までやってきました
錆びた低い柵の向こうには、おだやかな風景が広がっていました。
ふと飛び込んできたこの看板。不意打ちに来ましたね…。読んでみましょう
あぶない!
せんろに
ないでください鳳保線区長
天王寺公安室長
先程の阪和保線区から「鳳保線区長」名義にパワーアップしています。昔はこういう名前だったんでしょうか。
更に、この裏側には4.3パーミルの勾配標が立っていました!
加美あたりで見て以来、久しぶりの鉄道遺構でワクワクしていました笑
杉本町駅
そして、阪和線の杉本町駅に到着です。ここには大阪市立大学のキャンパスが存在しています。
かつては阪和線と接続する連絡線がありましたが、大阪市立大学のアクセス性を良くする為に新しい出口を作る際、埋められてしまいました。
なお、この部分にはかつて「留年踏切」と呼ばれていた踏切があったそうで、ここで引っかかる学生はしばしば留年する呪いの場所という不名誉な扱いを受けていたそうです。
末期の阪和貨物線は1日1~2便程度だったので、その電車に引っかかるようでは確かに不運かもしれませんね…。
まとめ
だいぶ長くなってしまいましたが阪和貨物線の廃線めぐり記事、いかがでしたでしょうか。
新大阪~久宝寺が結ばれて華々しく開業したおおさか東線の一方、廃線となって朽ち果てていく「もう一つのおおさか東線」は極めて対照的ですね。
私自身、大阪市にこんな広範囲において廃線跡地があるとは知らず、回っていて非常に楽しい撮影でした。
土地活用の動きが鈍いとはいえ、ゆっくりと鉄道の遺構はなくなりはじめています。遺構が残っているうちに、是非皆さんも撮影しに行ってみてはいかがでしょうか。
関連リンク
参考文献
歩鉄の達人「廃線探索 阪和貨物線」、2016年12月17日
日本国有鉄道大阪工事局「だいこう 22」、1976年3月
大阪市「大阪市の概況について 」(都市交通審議会答申第3号「大阪市及びその周辺における都市交通に関する答申」 について掲載)
Wikipedia「阪和貨物線」(駅名のみ参考)