驚くべきことに、富山地方鉄道で長年メイン車両だった「かぼちゃ電車」こと10030形に廃車が出始めました。
廃車となったのは、1991年に譲渡されたモハ10037-38(元京阪の3004-3510)です。
同車は元々京阪電車の3000系だった車両で、1990年~93年頃に遥々富山までやってきた車両です。
富山に入ってからはツートンカラーを黄色+緑に塗り替えられ、かぼちゃ電車として親しまれてきました。
富山地鉄公式のブログでも、このように言及されています。
かぼちゃでんしゃとは、富山駅と宇奈月駅間を往復している、富山地方鉄道の電車のこと。
車両が、黄、緑、黒なのだが、誰が言ったのか分かりませんが、「かぼちゃでんしゃ」とよび親しまれているようだ。出典:https://chitetsu.exblog.jp/240598726/
ちょっとマニアックな話ですが、私も富山に行った際には毎回電鉄富山からこの車両に乗車し、越中荏原を発車して常願寺川の橋梁をかっ飛ばすのを毎回楽しんでいました。
このかぼちゃ電車、富山地方鉄道と譲渡元の京阪電車とは線路幅が異なるので、車体はそのまま使い車輪部分はJRの485系車両のものへ交換していました。
前置きが長くなりましたが、今日はかぼちゃ電車を振り返ります。
様々なかぼちゃ電車の姿
南富山駅で並ぶかぼちゃ電車と路面電車。南富山は両線が顔を並べる場所で、その大きさの違いがよくわかるスポットです。
横に並ぶのはデ8000形。同じ平成初期に導入された、この当時の富山地鉄を代表する顔です。
今回、初めて廃車になった第4編成(10037-10038)です。今は供用を停止している電鉄富山駅1番線から出発していきます。
電鉄富山駅からかぼちゃ電車とインテック本社。こちらも現在は北陸新幹線などの高架線路に阻まれて見れなくなってしまった光景です。
電鉄富山駅もまもなく高架化工事がスタートしますが、またインテック本社を眺めることは出来るのでしょうか。
富山といえば豪雪地帯。かぼちゃ電車もその洗礼を受けてきました。前部分が殆ど見えなくなっても走り続ける頼もしい姿を見せてくれました。
同じ冬の光景ですが、雪が止むと見える美しい立山連峰もまた富山の魅力。
自動車評論家のジェレミー・クラークソンが富山にやってきた際、「ここはスイス(の風景)のようだ」と言わしめたこの美しい麓を、かぼちゃ電車こと10030形は快走して行きます。
「県民共済」の車体側面広告を掲載していた時代の第6編成。
あわせて車体前部にアンテナのようなものも見えますが…当時は既に撤去されていたテレビ用の残りでしょうか?
こちらも県民共済広告が掲載された第6編成。
8月になると稲も大きく伸び、その田園を10030形が走る姿は富山の日常の風景です。
2012年から京阪特急色に復元された車両が運行開始。再びテレビカーとして運行が開始されました。
2013年には新たに移譲されたDD(2階建て)車両を連結して「ダブルデッカーエキスプレス」として運用されていますが、残念ながらこの年を境に富山へ行くことがなくなってしまいました。
車内
10030形の車内を見ていきましょう。座席は京阪時代の転換クロスシートをそのまま使用しています。
補助席については持ち手が埋められて使用できなくなりました。
廃車の報には驚きましたが、よく考えると製造は1970年頃。
富山へ来たのは20年程度の時期なので、そこから通算すると既に50年選手なのですね…。
富山地鉄のエースである14760形でも経年40年(1979年製)なので、それよりも古い10030形が廃車されるのも無理はないのかもしれません。
東急や西武NRA車両の導入で、今後徐々に姿を消すかもしれないかぼちゃ電車こと10030形。今後もう一度乗る&撮る機会がありますように…。