大阪駅を見守り続ける「清水太右衛門殉職碑」

大阪駅を見守り続ける「清水太右衛門殉職碑」

大阪駅の片隅に「清水太右衛門殉職碑」という石碑が、ひっそりとあるのをご存知でしょうか。

 

一人の少女を救った駅員

この石碑は、清水太右衛門(しみずたうえもん)という駅員さんが、当時踏切のあった大阪駅近くの踏切番として勤務中、18時頃に遮断器の下を通って線路に入っていった小さい女の子を発見。

両方向から西成線(現在の大阪環状線)の電車が迫る中、とっさに踏切に飛び込みこの女の子を救ったものの、電車と接触して重傷を負い、22時間後に殉職したという事件が基になっています。

 

踏切番とは

当時はリレーシステムやコンピュータがなく、自動で踏切が作動出来なかったので、踏切の遮断機を手動で下ろす係の「踏切番」という仕事がありました

 

 

 

この自己犠牲の功績を伝えるため、1907年10月に現地付近にこの石碑が建立されたのです。

戦時中に空襲で壊れてしまいましたが、1956年に当時の国鉄総裁であったと十河信二氏の揮毫をもって再建。現在でも両者の名前が刻まれています。

 

(表)
清水太右衛門殉職碑
日本国有鉄道総裁 十河信二

(裏)
故清水太右衛門殉職碑陰記
清水太右衛門は、岐阜縣羽島郡小熊村に生まれ、
明治三十一年大阪駅三等駅夫として就職し、誠実勤勉、上下の信望ことのほか厚かった
明治四十年五月三十一日、西第一踏切番として勤務中、午後六時ごろ
ばく進し来る列車に向って突如遮断機をくぐり線路上に走り出た一幼女に
気付いた太右衛門は、愕然、大声を發し、とっさに身を躍らせて一瞬これ
を救ったが、自らは列車に触れ重傷を負い、気息奄々の中にもなお、幼女
の危急を叫びつつ遂に職に殉じた  ときに齢五十四才であった
このでき事に感動した人々は、碑を建立して後世に伝えたが  昭和二十
年五月被爆により破損した
たまたま故人の五十年忌に際してその修復を企ててここに永く故人の遺
烈を伝えようとするものである

昭和三十一年五月三十一日
大阪商工会議所 会頭 杉道助

 

 

かつてこの石碑は、阪神高速梅田出口の近くにありましたが、大阪駅の駐車場ビル建設に伴い、2007年に大阪駅の旧11番線ホームの近くに移転しました。

安堵するかと思いきや、この場所へも新たに120mの新ビルが建てられることで撤去されており、現在は西梅田の大阪中央病院向かい側あたりに位置しています。

 

この地では塀に囲まれており、かつてのように正面を見ることは出来ないようです。

 

 

なおこの一連の話を、大阪鉄道局がまとめた紙芝居があります。

長らく行方不明でしたが、2011年6月にこの紙芝居を保有していた方からJR西日本へ寄贈されたようです。

 

 

関連リンク

ASIAでうろうろ 「16.清水太右衛門殉職碑

 

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