【速報】名フォントを輩出した株式会社「写研」の石井裕子社長、9月24日に逝去されていた

道路看板でよく見る「ナール」や、90年前半に一世を風靡した「ゴナ」など数々の名フォントを輩出し、現在でも熱狂的なファンを抱える株式会社写研。

その写研を率いてきた、創業者石井茂吉氏の三女である石井裕子社長が、2018年9月24日に逝去されていたことがわかりました。92歳でした。

新しい代表取締役には南村員哉 氏の名前があります。

 

Twitter上で噂が駆け巡ったものの、社の方針からかWebサイトの開設すらしていない為に情報のソースがとれず、「デマなのではないのか」という話もありましたが、法人登記簿に「平成30年9月24日死亡」としっかりその記載があります。

出典:写研の法人登記簿より。10月17日に登記が変更されていました

 

”社長は会社の法律だった”…と読売新聞に書かれた写研は、石井裕子社長のゴーサインがないと組織として絶対に動けない仕組みがあったと記載されています。

 

社長は会社の”法律”だった。(中略)

九三年に作成された社内分掌表が手元にある。「総務」「経理」「営業」「労務」「開発」ーー各部の責任者欄のすべてに社長の名前が記載されていた。

それは社長のゴーサインがなければ会社は動かない、ということを意味した。業界関係者の証言もある。

写研さんは、社長がいいといわなければ何もできない。やれといわれたらどんなことでもやる」

出典:読売新聞『[隠蔽] 写研=中 「社長は法律だった」』(1999年1月3日,38面)

 

DTP化のトレンドにうまく乗せて大躍進した「新ゴ」を作った大阪のモリサワとは対照的に、かたくなにデジタルフォント化を拒否してきた東京の写研は、だんだんとそのフォントを目にすることが少なくなってきていました。

ゴナは、もはや90年代へのノスタルジーとなりつつあります。

このデジタルフォント化の拒否の原因が社長にあったとするならば、今後デジタルフォント化へ向けての具体的な動きがあるのでしょうか。

 

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