ソーライスというワードをご存知でしょうか。
鉄道好きならもしかしたら知っているかもしれませんが、かつて阪急百貨店の大食堂にて提供されていたといわれる裏メニューです。
ソースをライスにかけるので「ソース+ライス」→「ソーライス」という名前がつきました。
一般的な逸話
このソーライスは、非常に有名な逸話があります。
媒体によって多少異なりますが、大まかな流れはこの通り。
昭和5年に発生した「昭和恐慌」の影響で、それまで食べられていた「ライスカレー」を食べるのがサラリーマンでも困難になった。
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そこでより安くお腹を満たすべく、ライスだけ注文して机の端にあったソースをかけて食べた(ソーライスという名前も出来た)
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全国的にこの流れが出来たが、ライス単品だけ注文されてソースも使われたのでは売上が上がらないから、ソースをしまったりライスだけの注文を断る店舗が多く出た
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阪急百貨店も最初は断る動きを見せたが、小林一三氏が次のように説いて従業員を納得させた
「彼らは今こそ貧乏かもしれない。しかし将来家庭を持った時に『貧乏だった頃、阪急百貨店は快くソーライスを食べさせてくれた』」と昔を思い出して、また家族連れでうちに来てくれる」
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皿に「ライスだけのお客様歓迎」という貼り紙まで出させた
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後に関西の財界人の間で「ソーライス食べたな」という話が共通ワードとなり、後世において小林一三(と阪急)は評価された…
というもの。
阪急の中興の祖である「小林一三」氏の、先見の明と偉大さを称賛する内容です。
公式には出てこない
ただし、この話の関連は阪急公式の文献に殆ど出てこないものだそうで、ソーライスを推奨したとされる小林一三氏の直接的な文献にも登場しません。
こちらで確認できた最初の文献は、アサヒビール社長を努めた山本為三郎氏による「上方今と昔」という書籍です。
阪急百貨店の食堂には、ソーライスという食べ物があつた。五銭出すと、皿に山盛りの白いめしがのつていて、わきに福神漬がついている。テーブルの上には、ソースのビンが置いてあるから、それをめしにかけて食う。ソースはいくらかけてもタダです。
出典:文芸春秋新社「上方今と昔」、山本為三郎 、1958年
この話を見て共感・拡散された方も多く見られ、古川緑波氏は「食書ノート(1958)」で、鍋井克之氏は「大阪繁盛記(1960)」でそれぞれ取り上げられています。
つまり逸話の最後
後に関西の財界人の間で「ソーライス食べたな」という話が共通ワードとなった
という部分は本当のようです。
この辺の細かな顛末については、「Stella Rail Sideさん」がめちゃ詳しく取り上げてるのでそちらをご覧頂くとして、今日は実際にこの「ソーライス」を食べてみました。
実食
ソーライスとは、ごはんの上にウスターソースをかけたものです。
この時代はまだ濃い目のソースは普及しておらず、ソースと言えばウスターソースだったようです。
実際に食べてみるべく、私も早速ご飯単品を注文。ソースを持ってきてもらっていざ実食!!
…
……
………まぁ、味は酸味が強めで常食にはちょっと厳しかったです。
元々薄味好きということもあり、これだけでご飯を平らげるのはちょっとキツいものがありました
昭和恐慌の時のサラリーマンは、こんなものを食べていたんですねぇ。ガッツあるなぁ…
残念ながら、かつて「ソーライス」を提供していた阪急百貨店の8階にあったとされる大食堂は、現在残っておらず、厳密な意味での「阪急百貨店が出したソーライス」は食べることが出来ません。
ただレシピが非常に簡単で、ソースがあるなら家でも出来る簡単なものなので、皆さんも是非一度試して昭和のサラリーマンの気分を味わってみてくださいね。
関連リンク
※この「ソーライス」は美味しんぼ(30巻)でも登場します