以前ご紹介した近鉄針中野駅。
近くには谷町線駒川中野駅もあり、ここら一帯の地名が「中野」ということは伺えます。
ただ、「針」とはいったい…?
針中野駅を撮影してきた同日に、「針中野」の由来となった場所へ行ってきました。
鍼灸屋さん
時は1923年(大正12年)。
当時既に道明寺~布忍間の運行を行っていた大阪鉄道という鉄道会社が大阪市街地へ進出すべく、布忍~大阪天王寺(現在の大阪阿部野橋)駅まで延伸することを考えていました。
それにあたり中野の地へ鉄道を通すべく、周辺住民をまとめて駅誘致を行い、自らも土地を提供して鉄道開業の力になったのが、この地域で鍼灸業を営んでいた名門の中野家であったそうです。
東住吉区のページによると、以下のように記載があります。
明治の頃、第41代目新吉氏は医師の資格を取得された上で、西洋医学を取り入れて独自の鍼法を築かれたので、近畿一円から「中野鍼まいり」として、一日500人以上の人々が殺到し、屋敷内に遠路の来館者を泊める宿舎も建てられていました。
大正3年(1914年)に南海平野線が開通した時には、中野駅から鍼院まで7ケ所の道辻に石の道標が建てられました。
大正時代に中野家41代目が大阪鉄道(現近鉄南大阪線)の開通に尽力し、そのお礼として大正12年(1923年)の開通時には最寄りの駅名を「針中野」としたといわれています。
現在も駅名が継続され、地名となって残っています。出典:東住吉区「058 中野のはり」
そしてここが…針中野の由来となった「中野鍼」さん。
めちゃくちゃ大きなお屋敷は江戸時代に建てられたもので、2019年に登録有形文化財に登録されたそうです。
営業案内を見ると現在も運営してるっぽく
午前九時~午後一時
午後三時半~午後七時
月曜日~土曜日
休診日(日曜日・祝祭日)針中野
中野鍼
との案内がありました。
現在の当主はなんと44代目だそうで、一子相伝でその技を受け継いでるのだとか。すごすぎ…
ここら一帯の周辺地名も「針中野」となっていますが、これは駅名から取られたものとなっています。
つまり「中野の鍼灸師さんが助けた」→「大鉄がお礼に針中野駅と命名」→「周辺地名を針中野に改名」という流れをくんでいるのです。
7つのみちしるべ
先程の中野鍼さんの近くには、石製の道標が設置されています。今でいう案内看板ですね
←はりみ
→でんしゃの
と見えますね。
この道標は大正3年に41代当主の中野新吉さんによって7つ建てられたのだそうで、現在も2つが残り続けています。
先程の中野鍼のお屋敷前にも一つ。
→でんしゃのりば
→はりみち
と読めます。先程のものは埋まってしまったのでしょうか。
但し、この道しるべの「でんしゃのりば」は近鉄針中野駅を指しているものではなく、かつてあった南海平野線の中野駅(現在の谷町線駒川中野駅あたり)を示しているものです。
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参考文献
東住吉区「058 中野のはり」