近鉄の旧孔舎衛坂駅(くさえざかえき)は、1964年まで近鉄奈良線で使用されていた駅です。
閉鎖されてから55年が経ちますが、それでもホームの遺構はなくされておらず、廃駅遺構が残る場所となっています。
また、この先にある生駒トンネルは関西でも随一の心霊スポットとして名を馳せています。心霊の都市伝説としては以下の話があります。
1964年の閉鎖前にまだこのトンネルが使われていた頃。最終列車で人が少ない時間帯のはずなのに、このトンネルを通るとどこからともなく人が現れ、いつしか車内が満員電車に変わっていた…。
こういう声を多数聞いた近鉄は、(霊の為に)最終電車の後にもう1本回送電車を走らせていた…。
生駒トンネルを通過している最中に窓の外を見ると、何故かたくさんの人影が見えた。また、閉鎖後もこのトンネルの近くを通ると、足音が聞こえることがある…。
う、うーん…。鉄道ファンの私からすると、ある意味ツッコミどころ満載のエピソードです(笑)
終電後に回送電車を走らせるのは車庫に引き戻すなどの理由でよくある話ですし、足音が聞こえるのは恐らく保線関係の方のもの(生駒トンネルは現在も保守面にて使用されている)と思われます。
旧生駒トンネル入り口。厳重に封鎖されています。確かにどこか無機質な感じがしてちょっと怖いかも…。
ここが心霊スポットと呼ばれるのは、以下の事故が関係しているものと推測されます。
・1913年、建設中に発生した落盤事故(152名が生き埋め、20名が死亡)
・1946年に発生した車両火災(23名死亡、負傷者75名)
・1947年に発生した火災(死者0,負傷者40名)
ひとまず、現地の写真を見てみましょう。
孔舎衛坂駅の遺構を見る
写真は孔舎衛坂駅旧奈良方面ホーム。線路を挟んで両脇にホームがある「相対式ホーム」だったようですね。ホーム長はだいたい2・3両程度といったところ。
「孔舎衛坂」という由緒正しそうな名前は、神武天皇が由来なのだそうです。
こちらは旧大阪方面ホーム。何故か祠のようなものが…
ここには「白龍大神」と書かれた鳥居があり、後述する落盤事故・車両事故で死傷された方を慰霊する目的、及び現在供用されている生駒トンネルの今後の安全を祈願して建立されたものだそうです。
普段は入れませんが、お正月には参拝することが可能になるのだそうで、ぜひ行ってみたいところです。
心霊スポットとして名高いからか、かなり侵入者がいるようで至るところに「進入禁止」の看板がありました。
55年が経過するにも関わらずトンネルが残されているのは、新生駒トンネル・けいはんな線生駒トンネルの非常出口として機能している為と、電力設備(近鉄鷲尾開閉所)が設置されていることが理由です。
ただ、手前の孔舎衛坂駅遺構が残されている理由ははっきりしません。
敷地内に電気関係の設備があることから用地確保の意味でその土地を手放せず、敢えて(費用がかかる)ホームを解体する理由がないのかもしれませんね。
ちなみに
生駒トンネルという名称のトンネルは
・旧生駒トンネル…1964年まで供用。このトンネル。
・生駒トンネル…現在供されている奈良線のトンネル
・新生駒トンネル…けいはんな線で使用されているトンネル
と3つあります。
現場までの道のり
現場までのルートを簡単に説明しましょう。まずは近鉄石切駅を出ます。
出て右側を向くとファミリーマートが見えますので、あとはひたすらこの道を進んでいきます。
また道中には大阪を見下ろすことが出来る美しい風景が広がっています。昼・夜共に素晴らしい景色でしょう。
この風景がみえるあたりのもう少し先に幼稚園がありますが、そのY字を右へ進むと孔舎衛坂駅跡・生駒トンネルになります。
追記
先述のように普段は立入禁止となっていますが、正月の時期だけは参拝のために開放されるとのことで正月にわざわざ行ってきました。
鳥居前。ただお邪魔するだけも悪いのでしっかりと手を合わせてお参り。
かつての孔舎衛坂駅はやや短いホームだったようで、後から継ぎ足されたホームの下に階段の遺構が残っていました。
境内には「東大阪線生駒トンネル」の貫通石が飾られていました。
「白龍大神」と書かれた石碑。
月日が流れてもう殆ど読めませんが「昭和11年3月15日」と書かれているのだけはかろうじて読めました。
生駒トンネル近くまで近づいてみましょう。
トンネルの中はこんな感じ。不法侵入対策で、監視カメラ2台とフェンスがありました。
関連リンク
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