宮ノ下停留場は、かつて天神ノ森~東玉出間にあった阪堺電気軌道阪堺線の停留場(駅)です。南海高野線の岸里玉出駅に隣接しています。
「宮ノ下」の由来は、近隣にある阿部野神社の下にある駅の意味です。
情報提供:八雲様
歴史
阪堺線が開業した1911年12月1日に開業。いつしか使用停止となり、そのまま廃駅となりました。
阪堺廃駅の宮ノ下駅、こんな風に今も使われてるんですねえ https://t.co/wEH8Yt0uGM
— Osaka-Subway.com/鉄道プレス (@OsakaSubwaycom) June 11, 2020
現在でも遺構が残っており、工事のための臨時列車で使用されることもあります。
いつ廃駅になった?
「宮ノ下駅の怪」続き。
南海の資料で確認すると、昭和32年刊『南海70年のあゆみ』では「宮ノ下」は掲載されています。「海道畑」や、1967年に廃駅になったという「中道」も載ってます。また、昭和40年刊『西成区史』には「休止中」と書かれています。
一時資料では、廃駅などとは書かれていません。 https://t.co/v04b6ZSytD pic.twitter.com/oDRKq0ObSk— パルプンテのぶ (@yonezawakouji) June 13, 2020
この宮ノ下駅の廃止時期ですが、今ひとつはっきりしていません。
https://yonezawakoji.com/themysteryof_hankai-miyanoshita/
お世話になっているBEのぶさんが調査された情報によると、
・戦時中に休止→戦後に復活
・昭和31~35年の間に休止
・昭和55年に平野線等と同時に廃止?もしくは現在も休止中?
という推測が上げられていました。
休止から廃止になった時期はわかっておらず、そもそも本当に廃止されたのかどうかも微妙なところです。
ギャラリー
廃止駅近くの踏切から南方向を眺める。遮断器は駅施設に直結されています。
北行き(恵美須町行き)ホーム。レールが置かれている他、屋根支柱の為の基礎?らしきものも見られます。
こちらは南行き(我孫子道行き)ホーム。こちらも何か丸太のようなものが寝転されています。
22.2パーミルの勾配標と共に。ここから北へは22.2パーミルと結構な勾配なんですね。
傘を指している人物のあたりに天神ノ森停留場が見えることから、かなり近接した停留場であったことが窺えます。