昨日の記事『西濃鉄道、あまりのガバガバぶりに「令和版朝倉軌道」が爆誕したと話題に』は、おかげさまでたくさんの方に読んで頂きました。
その記事内において伝説の鉄道会社としてさらっと紹介した「朝倉軌道」のお話を、今日はもう少し深くご紹介したいと思います。
鉄道ファンの皆様には、是非とも履修して頂くべきともいえる実例でしょう。
日本の鉄道史において、ここまでフリーダムだった鉄道企業はそうありません。
朝倉軌道について
朝倉軌道は、福岡県の二日市から甘木間を結んでいた鉄道会社です。1908年に開業し、1940年の廃止まで32年間運営されていました。
蒸気機関車が使用されたのち、その客車を1両の小さなガソリンカーに改造したり、貨物列車を用意したりして、トコトコと15km程度の距離を行ったり来たりする、地元民御用達の鉄道でした。
…ここまでは戦前にありがちな軽便鉄道の話ですよね。
お待たせしました。ここからが本番です。
伝説はここにある。
朝倉軌道の伝説は、国や県などの認可・指示・法令を完全に無視したフリーダムっぷりにあります。
一例を見てみましょう。
・書類にない車両が平然とそこにいる
・車両限界(最大寸法)は幅1,676mm。なのに幅1,830mmの車両が何故かいる
・届出書と図面とで書いていることが全然違う
・規定のフォーマットで書かれてない
・設計そのものに問題がある
・「欅を使ってるから超綺麗」みたいなどうでもいい自慢話が書いてある
・などの理由で認可を出せない
・…が、朝倉軌道にとっては認可が出る出ないなんてどうでも良い
(認可が降りようが降りまいが勝手に改造する)
・返事を寄越さない
・来たと思ったら必要事項が殆ど抜けている
・あまりの適当っぷりに国や県も指導を諦めて認可を妥結
・ここまでの期間4年半。これは日本の鉄道史において最長記録
・所属車両の車番を届け出る必要があった時、書くのが楽な数字を適当に書いて提出した
・構内配線を無許可で勝手に変更
・当局にそれをツッコまれるも、21ヶ月間無視し続ける
・ライバルの対抗策にと行った運賃を半額にする値下げも勿論無認可
・これだけ適当、無認可のオンパレードなものの大きな事故は起こしていない
・最終的に黒字で経営を終える
……ある意味、何でも許可を必要とする政府の中央集権的な姿勢に反発しt………いや、そこまで多分考えてないですねこれは。
1940年に国鉄が、並行する甘木線を建設する際に路線が重複するということで廃止されるのですが、その際にもちゃっかりと補償金を獲得するなど、最後まで抜け目のない鉄道会社でした。
朝倉軌道伝説を広めた2人の功労者
湯口徹さん
朝倉軌道における数々の伝説エピソードを調べた第一人者が、湯口徹さんです。
湯口さんは1997年に鉄道ピクトリアル誌上で『朝倉軌道気動車探求記-ある軌道の1930年代』を発表。
戦前の遠い記憶となっていた朝倉軌道の伝説のエピソードを、世間に知らしめました。
あかつき3号さん
それを、ネット上でわかりやすく広めたのがあかつき3号さんです。
筑紫野市歴史博物館まで取材され、2010年にニコニコ動画内で発表された『迷列車【九州編】#45 伝説の朝倉軌道』は上・中・下の3動画がいずれも7万回再生を獲得。
書籍だけでなく、ネット上にもその伝説ぶりが拡散されていくことになり、現在に至っています。
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