日本橋の顔「ニノミヤ」の遺構をたどる

日本橋の顔「ニノミヤ」の遺構をたどる

皆さんは「ニノミヤ」という家電店があったことをご存知でしょうか。

真っ赤な看板にヘルベチカで「Ninomiya」と書かれたその看板は、大阪市民なら誰もが知る名門の電器店でした。

 

2008年に倒産して日本橋より姿を消して、昨年でちょうど10年を迎えます。

現在、大阪市内に立地する大きな家電店は「ヨドバシカメラ・ビックカメラ・上新電機・エディオン」などが代表的ですが、ニノミヤはこれらのビックネームとも肩を並べるほどの大きなチェーンでした。

 

現在でも、日本橋界隈ではニノミヤの看板やニノミヤが建てたビルが残っているところがあります。

今日はそんなニノミヤの”遺構”をご紹介しましょう。

 

歴史

1945年、二宮荘吉が 大阪の日本橋に電子パーツの卸商・二宮無線電機商会として創業したのが、ニノミヤの始まりです。法人としては1947年11月(株式会社二宮無線電機商会)の創業となっています。

上新電機も同時期(1948年)にラジオパーツの販売を開始していることから、この2社は長らくライバル関係であると共に、日本橋を代表する顔でした。

 

ニノミヤ日本橋本店は、現在の東横INN大阪なんば日本橋店(大阪市浪速区日本橋4-11-15)の場所にありました。

経営悪化を受けて資金を貸していた銀行から債権(借金を取り立てる権利)を投資ファンド「モルガン信託銀行」に売却され会社更生法を申請。

その後、郊外に展開していた店舗を全て閉鎖し、日本橋のみに集約して再生を図りましたが、売上を回復することは出来ず、2007年5月をもって終止符を打ったのでした。

 

 

最末期は純損失27億円

ニノミヤ最末期の決算は、純損失 27億9300万円という散々たる決算内容を発表していました。

家電小売企業として1年間に27億円もの損失を出しているのは、経営的に相当行き詰まっていることを意味します。

売上高 597億5800万円
営業利益 ▲2億1900万円
経常利益 5億1300万円
純利益 ▲27億9300万円

出典:官報 決算公告(2004年8月)

 

 

在阪系電気店は…

ニノミヤ以外にも、大阪を本社とする電器店として、かつては

・和光電気(天王寺区上本町)
・マツヤデンキ(大正区泉尾)
・ミドリ電化(尼崎市)

がありました。

しかし、いずれも経営的に立ちゆかなくなり、倒産(和光電気)や売却(マツヤデンキ・ミドリ電化)によって終焉、上新電機のみが生き残った形となっています。

 

 

現在も残る遺構

倒産してなくなってしまったニノミヤですが、現在でも一部にニノミヤの遺構が残っています。

例えば、南海なんば駅近くに位置するセガの入ったビル「難波アビオン」には、未だに「Ninomiya」の看板を掲げています。

それだけでなく、シャッターにも未だ「ニノミヤ」が残されていました。

またアビオンの名前は、元々ニノミヤ時代に運営していたニノミヤAVION(AV機器専門店)が基となっており、現在のビルの所有者はニノミヤへのリスペクトが相当あるようにも見えます。

 

南海なんば駅前にある「タイトーステーション」のこのビルも、元々はニノミヤだったそうです。

現在では全く面影がありませんね。

 

また、現在「メロンブックス・らしんばん・アニメイト」がテナントとして入るアニメイトビル(大阪市浪速区日本橋西1−1−3 )は、かつてニノミヤのパソコン販売店「ニノックス 電脳メガ」でありました。

 

出典:https://www.youtube.com/watch?v=Jjcd0UMVV5I

 

ニノックス Ninox 看板 日本橋 ニノミヤ

南側にはうっすらと「Ninox」の文字がまだ残っている状態です。

 

 

CMソング

エンドジングルである「ニノッミヤ♪」は聞き覚えのある方も多いのではないでしょうか。

 

 

 

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