関西では主に三宮周辺でよく見る戦争の跡ですが、実は大阪にも残っている場所があります。
それが、JR大阪環状線の玉造駅にかかる「黒門町架道橋」。
ここには、戦時中に機銃掃射を受けた跡と思われる遺構が残されています。
機銃掃射(きじゅうそうしゃ)とは
ガトリング(機関銃)で撃ちまくること。今回の場合は飛行機の低空飛行によるガトリング攻撃を指します。
現地を見てみる
現地の様子。玉造駅と長堀通が交差する部分に、この橋梁はかけられています。
この「黒門町架道橋」は、大阪環状線の高架化工事が行われた1932年3月29日に竣工した、全長36.12mの鋼製橋梁です。
当時の建築物ではよくある、リベット留めの支柱に支えられています。
1942年のマップを見てみましょう。既に長堀通(左右の大きい道路)・玉造交差点が整備され、黒門町架道橋もあるのがわかりますね。
こちらが、その機銃掃射を受けた際に出来た穴です。穴の数を数えるのが困難なほどに多数の場所が貫通していました。
私も玉造はたまに通りますが、この穴がまさか戦時中の遺構であるとは思いもせず、てっきり経年劣化によって出来た穴なのかと思っていました…。
より悲惨な支柱
橋梁部分もさることながら、支柱部分はより悲惨な状態です。
鋼で出来た柱やリベット部分に、ここまで大きな穴があけられようとは…。
剥がれ方をみるに、おそらく奥側から手前へと弾丸が突き抜けたのでしょう。
同じ傷跡を違うアングルから。右から左へと弾丸が突き抜けていったのが容易に想像できますね。
詳しい方によると、アメリカ軍のP51という爆撃機に載せられていた12.7mm砲、もしくは7.7mm砲のどちらかなのだそうです。
何故玉造に?
何故、玉造が狙われたのでしょうか。
玉造は「大阪陸軍造兵廠」という、陸軍の銃などが盛んに作られていた場所から近いところにあります。
大阪陸軍造兵廠は大東亜戦争末期に重点的に攻撃され、京橋駅ではその流れ弾がガードを突き抜けて500名もの犠牲者を出したような悲劇もありました。
玉造もその例に漏れず対象となったようで、機銃掃射の対象となりました。
今回この橋に傷がついていたのは、おそらく橋の下へ逃げ込んだ民間人を狙ったものと、こちらのブログさんで推測されています。
・機銃掃射の角度から、何らかの理由でこの橋を狙っていた
・超低空飛行は操縦ミスで墜落するリスクがある。橋梁を叩くのなら上から攻撃すればいい
・つまり、橋の下に逃げた人を狙っていた
このように機銃掃射こそ受けたものの、玉造やこの近辺の空堀界隈は空襲による被害が抑えられたこともあってか、古い建築物が比較的多く見られます。
以下の関連リンクでも掲載していますので、ぜひご覧ください。
関連リンク
【近代建築探訪】大阪玉造・中道本通警ら連絡所
【記録写真】老朽化している真田山陸軍墓地を見てきました