相川に残る「新京阪橋」へ行ってきました

相川に残る「新京阪橋」へ行ってきました

新京阪!新京阪じゃないか!!!

相川駅近くにかかる安威川を横断する橋には、「新京阪橋」という銘板が燦然と輝いています。

当サイトでも以前から書いていますが、阪急京都線はかつて新京阪鉄道という京阪系の企業が保有する電鉄会社でした。

戦後は阪急へ強奪されてしまうのですが、その顛末はこちらを見て頂くとして、今日は未だ唯一と言っていい「新京阪」の名前を留めるこの橋をじっくりとご紹介します。

 

新京阪鉄道が作った?

新京阪橋は、1928年に駅が完成してから数年後にかかった橋です。

当初は田園風景で何もなかったことから、住宅街としての整備を新京阪鉄道が開始。吹田の街へと連なるこの橋を、都市整備事業の一環として新京阪鉄道が架けたものと思われます。

この橋を「誰が架けたのか」については、残念ながらはっきりとした文献が見当たりませんでした。

新京阪鉄道が架けたから「新京阪橋」だとは思いますが、新京阪鉄道へのアクセスルートだから「新京阪橋」という説も捨てきれないところです。
いずれにしても新京阪鉄道が関係することだけは間違いないようです。

 

この地へ初めて架橋されたのは、昭和10年以前のこと。

当時の大阪府告示に「この橋は今後大阪府が管理する」という文献があることから、それまでは(おそらく)新京阪鉄道が保有していたものとみられます。

昭和十年六月二十六日
大阪府告示第四百六十五號

府縣道吹田吹田町停車場線中行政区畫ノ境界二係ル橋梁(新京阪線)ハ當廳之ヲ管理ス

(現代語訳)「府県道吹田吹田町停車場線中の行政区画の境界にかかる橋梁(新京阪線)は、大阪府庁がこれを管理する」

 

新京阪橋を渡った先にある相川駅へは現在栗色の阪急電車がやってきますが、もし強奪案件がなかったなら、緑色の京阪電車が見えたのかも知れませんね。

 

新京阪橋の年譜

【相川駅】
1928年(昭和3年):新京阪鉄道が「吹田町駅」を開業させる
1930年(昭和5年):新京阪鉄道、京阪電気鉄道へ合併。路線名称が「新京阪線」になる
1940年(昭和15年):「京阪吹田駅」へ改称
1949年(昭和24年):新京阪線を阪急が収奪。
1954年(昭和29年):「相川駅」へ改称

【新京阪橋】
~1935年(昭和10年):新京阪橋を設置。以後は大阪府が管理
1960年(昭和35年):鉄製の橋へ架替工事開始
1968年(昭和43年):鉄製の橋が竣工
2023年(令和5年):歩道拡幅化工事を完了

 

ちなみに

近鉄大阪線長谷寺近辺には、近鉄の前身である「参急」の名前を冠した「参急橋」というのもあるそうです。

こういう過去の歴史を反映した地名や橋梁名があるの、歴史を感じていいですねぇ。

 

関連リンク

【鉄道歴史ミステリー】阪急に「奪われた?」新京阪鉄道

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【関西初の地下線?】西院駅近くにある「天人併其功」を見てきました

参考文献

  1. 東淀川区史 第二編第一章「土木事業」、東淀川区創設三十周年記念事業委員会、1956年
  2. 大阪府土木部「土木例規 : 大阪府」、帝国地方行政学会、昭和12年
  3. 東淀川区 思い出のこし「相川とその周辺

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