桃山式とは【鉄道用語】

桃山式とは【鉄道用語】

鉄道における「桃山式」とは、ざっくりいうと和風で豪華な内装を持つ車両を指します。

(安土)桃山時代に用いられたスタイルという意味で、「桃山様式」「桃山造り」とも言われるようです。お城や神社仏閣でよく見られますが、鉄道車両としては珍しい存在です。

具体的には、京都・二条城の二の丸や大阪城が挙げられます。

埼玉の鉄道博物館に保存されているマイテ39-11が、現代にこの桃山式の様子を今に伝えています。

 

桃山式の解説

冒頭にも書きましたが「桃山式」とは、安土桃山時代の桃山のこと。伏見桃山城を居城としていた豊臣秀吉時代の文化・センスを指します。

装飾にをたくさん使い、豪華絢爛かつ非常に綿密なスタイルが特徴です。

後の徳川家康が質素を旨としたのと比べ、織田・豊臣時代は時代の先を感じ取ったカリスマ性や国際交流、貿易によって堺や博多などにおける豪商の経済力が反映されたことで、全体的に華やかでキラキラした豪華なものが好まれました。

また、織田信長の時代より前は「今世で徳を積んで来世は極楽浄土へいく」という仏教的・来世主義な考え方が主流でしたが、仏教が敵とされたこの頃から「今の時代を幸せに生きる(現世享楽主義)」という考え方になったことも背景にあります。

 

マイテ39の桃山様式

現在まで残っているマイテ39型(マイテ39-11号車)における桃山式の特徴は、以下のようになります。

車内化粧板は、全体的に黒呂色 黒呂色 くろろいろ 漆塗りをベースとした格式の高いもの。

格子天井の下地には漆を用い、その上からラッカー塗装仕上げを行って艶感を出しています。

呂色とは、濡れた漆塗りのような深みがある黒色のことです。
漆塗りの技法である呂色塗(蝋色塗)から生まれた、美しい和の色名です。

幕板は組子(菱形)模様となっており、吊り下げ照明には正八角形の行灯 行灯 あんどん風提灯ライトを採用しています。

更に金箔を用いた下地に、漆塗上にて黒光りする螺鈿螺鈿 らでん細工…といった、手間のかかる和風調度品を潤沢に使用した非常に細かな作りです。

 

何故桃山式に?

マイテ39が連結されていた特急「富士」は、東京から下関、果ては船舶連絡で朝鮮や満州などとも結ぶ国際列車としての使命を帯びていました。すなわち、外国人がよく乗車する列車でもありました。

当時の国鉄は外国人受けを狙い、この和風の桃山式客車であるマイテ39を製造したのだそうです。今でいう「インバウンド客」向けの車両だったのですね。

ただ、その古風なデザインから、戦後の日本人からは「霊柩車っぽく見える「仏壇っぽい」と言われるなど、戦前後で価値観が一変してしまった車両でもあります。

当時の国鉄の文献によると、このマイテ39(当時の名称はスイテ39)が、桃山式と呼ばれた最初で最後の車両のようです。

 

完全復元はならず?

この格式高いマイテ39ですが、当時今では考えられないほど当時は粗末に扱われていたようです。

というのも、引退後は元々青梅鉄道公園にて野ざらしで保存されていましたが、1987年に大井工場へやってきました。

【年表】

1930年…スイテ37010形37011号車として製造、竣工。定員12名
1941年…客車全体の称号改称により「スイテ39」に変更
戦間期…贅沢な作りのスイテ39は、時代情勢にそぐわないことから休車に
1949年…特急「へいわ」用として再整備。重量増加により「ス」→「マ」に変更。
形式は「マイテ39」に、ナンバーは「11号」に変更、「マイテ39-11」になる
1960年…一等車制度の廃止により「イ」→「ロ」に変更。「マロテ39形」となる

1962年度…廃車
(その後25年にわたって青梅鉄道公園にて屋外保存)
1987年…民営化を記念して外観を再整備(この時点で内装にかなり劣化が発生)
2007年…埼玉・鉄道博物館の開設にあたり移転。内装も再整備。

当時の画像がヤフー知恵袋にありますが、野ざらしだったこともあってか損傷がかなりひどく、朽ちかけていたようです。

1987年の大井工場移設時には、ひとまず外装だけの修復作業が行われたようですが、この時点で内装は手つかずの状態。既に桃山様式の内装を修復できる技術がなく、修復は不可能であったようです。

Twitterでは、20年近く野ざらしにしていたことで雨漏りがして天井が落ちていたという話も見られます。

マイテ39 11は、損傷が激しくなったため東日本旅客鉄道(JR東日本)の大井工場(現・東京総合車両センター)に移送されて復元が試みられたものの、高度な細工を凝らした桃山式の内装はもはや修復できる技術が残っておらず、実現には至らなかった。やむなく装飾等が取り払われた上で、東京総合車両センターに保管。その後、2007年に開館した鉄道博物館 (さいたま市)において保存されることとなり、現時点で可能な限りの内装の復元が施された上で展示されている。

 

そのまま保存されていましたが、2007年の埼玉・鉄道博物館へ収蔵されるにあたり、可能な限りの修繕作業を行いました。

真偽は不明ながら、以下のようなエピソードがヤフー知恵袋にありましたのでご紹介します。

本来、漆塗りの部分がカシュー塗りになっていたり、金色に輝く金物の全てがFRP製だったり、LP26という灯具の一部がFRP製だったりします。
車内のソファーも全く新しく作ったものだとか。
カーテンレールもそこらのホームセンターに売っているプラスチック製の安物らしいです。

出典:https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1027157000

(※この節はあれこれ文献を探したものの見つからず、現在も調査中です)

上記エピソードによると、マイテ39の桃山式内装は原型当時のままというわけではなく、最新技術で間に合わせ的、擬似的に復元させたもの、ということになります。

 

p.s

今回のこの記事、専門外の内装の話などもあったあのでめちゃくちゃ時間がかかり、全然進みませんでした…。
まだ未調査な部分も少しありますが、ひとまずここで筆を置きたいと思います。
頑張って書いたので、是非感想をTwitterなどで聞かせて頂けると幸いです。

 

関連リンク

京都鉄道博物館で保存の「マイテ49」とは?現在の状況や廃車されてるかも調べました

【おやおや】オヤ31+マイテ49、久しぶりに走行

参考文献

  1. 産経新聞『資料さえあれば走る… 超豪華な1等展望車「マイテ39形」
  2. 日本ナショナルトラスト「日本ナショナルトラスト報 = Japan National Trust magazine (295)」、1993年10月
  3. 塗装技術便覧編集委員会 編『塗装技術便覧』,日刊工業新聞社,1956

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