最近、京都鉄道博物館にやってきた「マイテ49」という客車があります。
長らく大阪の宮原にて保存されていた古い客車列車でなんとなくレアだな~というのはわかると思いますが、そもそもどういう車両なのかをご存知の方は少ないと思います。
かくいう私も結構あやふやだったので、この記事を書いて知識を身に着けながらまとめてみました。
国鉄最後の一等展望車
マイテ49は、1938年に製造された1等客室を持った展望車です。
2両が製造されており、現在京都鉄道博物館に残っているのは2号車である「マイテ49-2」になります。
この「一等車両+展望車」という車両は、マイテ49-2の以後70年にわたって現れませんでした。
「一等車」としては2013年にJR九州が<ななつ星>用に製造した77系客車が、
「一等展望車」としては2016年にJR西日本が<トワイライトエクスプレス瑞風>用に製造した「キイテ87」が、このマイテ49以来の登場となります。
上記の<ななつ星>が登場するまでは、このマイテ49が「最新の一等室装備の展望車」という扱いだったことになります。
マイテ49の歴史
マイテ49は、1940年に予定されていた東京オリンピック用として2両が竣工しました。
国鉄を代表する名門特急「富士」の展望車両として使用されましたが、程なくして第二次世界大戦が始まり使用停止。戦後は進駐軍に接収されました。
接収中にはそれぞれ「SAN DIEGO(マイテ49-1)」「LITTLE ROCK(マイテ49-2)」という名称が付与されていたそうです。
進駐軍の撤退後も、マイテ49-1はアメリカ軍用の特別車としてリクライニングシートに改造されて使用されていましたが、マイテ49-2は一足先に返還され、元の状態に復帰させて再び特急用として使用開始。
このことが、トップナンバーでなくセカンドナンバーであるマイテ49-2の現在まで保存されている理由であると思われます。
マイテ49-1は、1964年に廃車となりました。
以後、マイテ49-2は以下のような変遷を辿りました。
・1950年…変換され復活。特急「はと」用に連結
・1956年…濃緑5号に塗り替え。EF58と共に「青大将」と称される
・1957年…宮原区へ転属。このことがJR西日本で保存されるきっかけとなる
・1960年…1等車廃止により「イ」→「ロ」に降格。「マロテ49-2」に称号変更
・1965年5月31日…下り特急「つばめ」として定期ラストラン、後に外国人向け団体臨に使用される(実際のラストラン)
・1966年2月…廃車。大阪・弁天町の交通科学博物館にて保存される
・1987年3月12日…国鉄分割民営化を記念して車籍を再付与、鷹取工場で整備され復活。以後はSLやまぐち号などで運行される
・2009年8月15日…この日を最後に運用離脱
・2017年…全般検査(車でいう車検)を実施
・2022年7月26日…宮原支所から京都鉄道博物館へDD51-119に牽引され回送
・2022年10月14日…車籍抹消、京都鉄道博物館にて展示開始
2009年の運用撤退以後、長らく音沙汰のなかったマイテ49-2。
そんな中2022年7月26日の早朝、突如マイテ49はオヤ31と共にDD51の牽引で京都に向かいました。
奇しくもこの年は鉄道開業150年の記念の節目。国鉄民営化というビッグイベントに復活したマイテ49は、再び鉄道150年のビッグイベントの年にレジェンドとなったのです。
結局営業線を走るのはこの日が最後となり、多くのファンが詰めかけました。
京都鉄道博物館では、梅小路機関区にある扇形車庫へと入庫。他のSL機関車と肩を並べるようになりました。
マイテ49の意味は?
あまり見慣れない「マイテ」という形式ですが、これには次のような意味があります。
マ…車両重量(42.5t~47.5t)
イ…1等車
テ…展望車両
マイテ49は、登場当初「スイテ37040形」という形式名でした。
1941年に客車が多くなりすぎたことで混乱したことから、呼び方のルールを変更。現在に通じる形式名である「マイテ49」となります。
1960年に座席の等級性が変更されて一等車という扱いがなくなり、これまでの2等車が新しい1等車扱いとなったことから、マイテ49も2等車を表す「ロ」に変更。新しく「マロテ49」となりました。
1987年に復刻する際、以前の「マイテ49」として再び車籍登録。それ以後は、マイテ49として運行されています。
関連リンク
参考文献
- 大井工場90年史編さん委員会 編『大井工場90年史』,日本国有鉄道大井工場,1963
- 車両電気協会「両と電気 38(5)(445)」、1987年5月