関西初の地下路線として開業した、新京阪鉄道の西院-京阪京都(現在の大宮)間。
その開通はあの御堂筋線(昭和8年)よりも早い、昭和6年3月31日で、関西で初めての地下路線とよく言われています。
その偉大さが讃えられ、土木学会選奨土木遺産として表彰もされました。
地下線の歴史
・1915年 逓信省 東京~東京中央郵便局間の業務列車用トンネル(日本初の地下鉄道)
・1925年 宮城電気鉄道 仙台~東七番丁(日本初の営業用地下線)
・1927年 東京地下鉄道 浅草~上野間
・1928年 神戸有馬電気鉄道 湊川地下線
・1931年 京阪電鉄新京阪線 西院~京阪京都間(関西初の地下鉄道)
・1933年 大阪市営地下鉄1号線 梅田~心斎橋間
(あ、あれ……神戸電鉄の湊川地下線の方が早いような…)
湊川地下線は現在無いので、あくまで「現在供用されている中では」ということなのでしょうか。
この地下区間に入る部分において「天人併其功」と揮毫された有名なプレートがあります。
そんな歴史を感じる部分を見てきました。
西院駅
阪急電鉄が走るこの区間を開業させたのは、当時京阪電車の関連会社であった「新京阪鉄道」です。
現在は阪急に強奪されていますが、今回それはさておき歴史的な地下構造物をじっくりと拝見しましょう。
駅は相対式ホームで、中央部に細い柱が位置しています。
柱には、この時代特有のリベット打ち機構が多用されています。
東京メトロ銀座線でもよく見られる光景ですが、なぜか同時期に開業した御堂筋線ではあまり見られません。
駅は歴史のある地下駅らしく浅い位置にホームが作られていますが、改札階となる中階も設置されています。
あのトンネルへ
西院駅を降りて西南方向へ歩くこと約5分。
阪急京都線は西院駅手前までは地上線を走行するのですが、ここから京都市街地に入ることもあり地下へと潜っていくことから、住宅街の中に突如線路が現れます。
ありましたありました!「天人併其功」と書かれたプレート。
これは「天の力と人の力が合わさってなし遂げられた」という意味で、新京阪鉄道の親会社であった京阪電鉄社長、太田光凞(みつひろ)氏の文字なのだそうです。
新線に揮毫するのは京阪の伝統で、淀屋橋延伸時や中之島線建設時にも同じような揮毫がなされています。
また、その下にはブロンズで出来たらしき鷲の彫刻も。まるで行き交う電車を鳥瞰で見守っているかのようです。
これは当時、トンネルに入る部分へ夜聡い鳥を守護神として飾る風習があったことによるものだそうです。
地下鉄嫌いだった小林一三
今でこそ阪急の路線となったこの先進的な区間ですが、意外にも地下鉄道を極度に嫌っていたのが、阪急の中興の祖である小林一三氏。
小林氏は自著の中で、地下鉄道を酷評する記述を残しています。
梅田新道から南海電車までの地下鉄工事を見るたびごとに、その竣成と同時に、大阪市の電鉄事業は必ず破産状態に陥り。さらにその建設物が時代錯誤の標本として、昭和時代の歴史的遺物となりはせぬかと心配しておる(中略)
濁れる空気、塵埃の洞穴、日光を見ざる不自然、そこには四六時中轟々たる音響と、湿潤と臭気の交錯、もし避け得られるならば、何人が地下鉄を喜ばん。
出典:小林一三全集. 第5巻「 雅俗山荘漫筆 第三」(大阪毎日新聞 昭和8年1月掲載)
これを証明するかのように阪急電鉄として地下路線を初めて作ったのは、小林氏が亡くなられた後の大宮-河原町間を延伸した際のことでした。
地下嫌いだった阪急(というより小林一三氏)が、結果的に関西初の地下路線を手中に収めることとなったのは、なんとも皮肉な運命ですね。
関連リンク
参考文献
土木学会選奨土木遺産「阪急大宮駅と大宮・西院間の地下線路の解説シート」