記事製作用に過去の写真を整理していると、2006年…今から15年前の大阪駅の写真が出てきました。
当時でも「国鉄の時代と比べると…」と言われていましたが、JRのセグメントが強くなったことで自社完結電車が多くなった今と比べると、まだまだ相当に多様な電車が行き来していた、楽しい時代でした。
国鉄の臭いがムンムンしていた、今はなき列車たちを振り返ります。
なは・あかつき(九州)
新大阪~九州を結んでいたのが「なは」「あかつき」です。JR西日本管内ではEF66形が牽引していました。
元々「なは(熊本行き)」「あかつき(長崎行き)」は違う電車ですが、途中まで連結されて運行されたこともあり「なはつき」と呼ばれていました。
後ろにはレガートシートと呼ばれる高速バスを意識した普通独立座席車両が連結されており、一際目立った存在でした。
銀河(東京)
大阪~東京間を結んでいた寝台「急行」列車です。
殆どの夜行列車が寝台特急となる中、この銀河のみは2008年の廃止時まで「急行」扱いでした。
…それにしても、まさか117系がこの名前を継いで現代に蘇ることになるとは思ってもみませんでした。
この当時の人に「117系が銀河になるよ!」と言っても「はぁ?」みたいな顔をされるのでしょうね…笑
きたぐに(新潟)
大阪~新潟間を走っていたこちらも寝台急行電車。機関車+客車の運行形態が多い中、異色の583系電車の固定運用でした。
大阪駅には6:49の到着で、塚本を通過するのはちょうど7時頃でした。
ちなみに、稀に683系が「きたぐに」を代走していたこともあったようです。こんな運用もあったのですね…
電車特急にも夜行寝台列車にもなる583系は、485系と同じような顔つきながら少し大型車両であることが特徴的でした。
「きたぐに」以外ではもっぱら臨時列車としての運行が多かったように思います。
実は寝台電車というコンセプトはこの583系が最初で、現在でも285系「サンライズエクスプレス」がこのコンセプトを受け継いでいます。
日本海(青森)
青森からやってきていた長距離特急。1本だけが多い寝台列車の中では、珍しく2本(日本海2号・4号)が設定されていました。
EF81形機関車もよく見たものですが、最近はめっきり姿を見せなくなりましたね…。
こちらは日光の当たり方的に日本海4号でしょうか。4号は青函トンネルを経由して函館まで行っていた電車でした。
函館を16:53に出発して大阪駅へは9:56に到着する、非常に過酷な運用でした。
この日は「トワカニ」がくっついていたようですね。その他、「トワ釜」が日本海として運行される日もありました。
トワカニ・トワ釜とは?
トワイライトエクスプレスカラーの「カニ」「釜」のこと。
カニは電源車で、釜は機関車のこと。
ボンネット雷鳥(新潟・富山)
ボンネット形の489系。この時代では既に雷鳥の運用に入ることがありませんでしたが、この日は代走として大阪にやってきていたようです。
この後もしばらく「ふるさと雷鳥」として1往復だけ大阪~新潟を往復する運用に就いていましたが、車両の引退とともにその設定も消えてしまいました。
なお、ふるさと雷鳥はヘッドマークが「臨時」だったのが少し残念でしたね。
その他
臨時列車でしょうか、EF65牽引の客車が大阪駅にやってきていました。にしてもこの時代のJR西日本の制服、超かっこいいですね…!
かぼちゃ色の113系。福知山線ではまだまだ走っていた時代でした。
最後は大阪駅にやってきたクモヤ145系。この両者はどちらも見ることが出来ますね。DEC741形の導入でどうなるか……