小説や紀行文ならともかく、講評・批判系の書籍に出典がないもの…というのをたまに見かけます。
鉄道なら、例えば著名な川島令三氏。彼がライフワークと称する「全国鉄道事情大研究」は、私も何度か読みましたが、歯に衣着せぬハッキリとした物言いをしている割には、一切出典が記載されていないのが、ある意味驚きでした。
もちろん、川島氏はかつて鉄道ピクトリアル編集部に在籍され、それなりに知識を蓄えられているので、「出典は?」と聞かれても、すぐに答えれるようにはしているのかもしれません
大阪市交通局の項目を見てみても、決して頓珍漢なことを書いているのではなく、歴史の細かい所まで書かれているなど、その博学ぶりには舌を巻きます。
ですが、ああいった講評系の書籍なのに出典が一切ない、というのは情報の正確性に欠けるのではないのか?とも思えます。
学術的には無価値?
私には書籍の格…どういった本が良書でどういった本が悪書になるのかはわかりません。”本の格”というものがあるのなら、それはどうやって決められるのか…… それは出典のあるなしなのかなあ、と、ふと考えてこれを書いています。
川島さん風にいうと、出典のない書籍は「どうかと思う」でしょうか笑
冷蔵庫本はただの読み物ってのは「常識」では。学術的に使える代物ではないし
— 市野川 (@irsaitama) April 22, 2017
彼が世に出たときは、まだ「まぁそんな話もあるよね」と大目に見てもらえた(学術的にはOUTだけど)。
時は移り変わり、誰もが「テキトーに書きやがって」と労なく気が付く事ができるようになった。しかし彼は己が権威であると勘違いしたまま。https://t.co/5305E76WKg— 企画屋(C97 4日目12月31日西れ05b) (@team185) April 22, 2017
なるほど、出典がない本は「学術的には使えない」という認識で一致しているようですね。
ネットでは、あまり川島令三さんって評判が良くないんですが
書籍を出版して、しかもそれが何冊も続いておられるのは尊敬できるなぁと確かに著書には出典明示がなかったりして「適当なこと書いてるなぁ」と思うこともありますが、なにせ結果を出されているんですよね。そこがカッコいい。
— Osaka-Subway.com (@OsakaSubwaycom) April 14, 2017